第39話  『離婚直後』
  役所。
  裕太郎が一人で残って残業している。
  やがてやって来る智恵。
智恵「おつかれさま」
裕太郎「おう」
智恵「びっくりしたー、誰もいないと思ってた」
裕太郎「そっちこそ」
智恵「なにしてんの?」
裕太郎「仕事だよ・・そっちは?」
智恵「宴会」
裕太郎「えっ、宴会? なにそれ?」
智恵「上の会議室でビール飲んでたの」
裕太郎「えっ! ビール?」
智恵「うん、お歳暮のもらい物を一本づつ・・え、来ればよかったのに」
裕太郎「いや、だって、仕事残ってるからさあ」
智恵「え・・ピンチ?」
裕太郎「でもないけど」
智恵「なんか飲む? コーヒーとか」
裕太郎「煎れてくれんの?」
智恵「うん・・お茶汲みだからさ・・私」
裕太郎「ん・・コーヒーか・・ん・・・いいや」
智恵「え? いいの?」
裕太郎「うん、いいや、ありがとう」
智恵「なんで終わんないの? 明日にすればいいじゃない」
裕太郎「そうなんだけどね」
智恵「明日は明日で陽が昇るんだからさ・・」
裕太郎「いや・・昼間さあ、二時間ほど抜けちゃったからさあ・・」
智恵「え、なんで?」
裕太郎「ん・・ちょっと地元の役所行って来たから・・」
智恵「区役所? なにしに?」
裕太郎「離婚しに」
智恵「えっ!」
裕太郎「さっき、離婚したんだ」
智恵「離婚って・・離婚?」
裕太郎「結婚の反対の離婚」
智恵「うそーっ!」
裕太郎「いや、ホント、ホント・・バツイチ」
智恵「へえ、マジでぇ?」
裕太郎「なんか変わった? 俺」
智恵「なにも」
裕太郎「だよね」
智恵「へえー・・・」
裕太郎「そういうことになりましたってね・・」
  と、仕事に戻る裕太郎。
智恵「え? どういうこと?」
裕太郎「だから・・出してきたの、ハンコ押して・・知らないと思うけど、緑のラインのこんな紙があって、それを出すと、離婚が受理されるの」
智恵「へえ・・・勉強になる・・」
裕太郎「いつか役に立つといいね・・こういう知識が・・そんなこと言っちゃいけないな」
智恵「え? (小声で)ホントに?」
裕太郎「(も声をひそめて)ホント」
智恵「(覗き込んでいる)・・・」
裕太郎「(再び小声で)ホント、ホント」
智恵「ほんとに離婚したんだ」
裕太郎「うん」
智恵「ああ、そう」
裕太郎「そうよ」
智恵「今、一人?」
裕太郎「そうだね、一人、そうだよ・・もう、俺は一人。一人で一人暮らし。一人暮らしの独り者」
智恵「今、奥さんは?」
裕太郎「実家」
智恵「いつ? いつから?」
裕太郎「去年の夏だから・・半年くらい前かな」
智恵「そんなに? そんな前から?」
裕太郎「そう」
智恵「そんなに前から、奥さんいなかったんだ」
裕太郎「いや、厳密に言うと、半年前から奥さんはいたんだけど、一人暮らしが始まった。まあ、別居ってやつだね」
智恵「別居・・別居してたんだ」
裕太郎「そうね」
智恵「全然、わかんなかった」
裕太郎「極力、わからないようにしてたからね」
智恵「なんで?」
裕太郎「なんでって・・そんなの人様にわかられてたまるかってのがあるじゃない」
智恵「あ、そう・・そういうものなんだ・・ああ、でも、半年前くらいから、なんかちがうなって」
裕太郎「え? わかった?」
智恵「言われればよ、言われれば、ね。そういうものじゃない。そうやって言われれば、なにもかもそう見えてくるものじゃない」
裕太郎「やめてよ、隠してたんだから、一応」
智恵「今、言われれば思うね」
裕太郎「ホントにそんなこと思ってた?」
智恵「いや、私、チェック魔だからさ」
裕太郎「チェック魔だよね」
智恵「見てるよ、ちゃんと・・あ、そう、あーそうか、そういうことか・・」
裕太郎「どういうことなんだよ」
智恵「いや、私の中のジグソーパズルの最後のピースが今、はまったのよ・・」
裕太郎「うそつけ」
智恵「ああ、そう・・ん・・それは、なに、あれ? なにかあったの? 決定的なさ・・なにかが」
裕太郎「ん・・決定的な・・ねえ・・決定的・・なにが、決定だったんだろうかなあ」
智恵「大ゲンカとか」
裕太郎「(即座に)ああ、そういうんじゃない。そういうことではないね」
智恵「そういうんじゃないんだ」
裕太郎「あのね・・大ゲンカですぐ離婚ってことは、実際、あんまないんじゃないかな」
智恵「そうなの? 実家に帰らせていただきます! とか」
裕太郎「ないね」
智恵「ないの?」
裕太郎「そんなに瞬時になにもかもが解決するなら誰も苦労はしないね」
智恵「ああ、そう」
裕太郎「時間も金も労力もかかるのよ。それはそれは想像を絶するくらいにね。そういうドンパチじゃないんだなあ」
智恵「じゃあ、そういうちっちゃいことが積み重なっていって・・」
裕太郎「積み重ねですよ」
智恵「ああ・・そういうことのね」
裕太郎「積み重ね。負の積み重ね。倒れるために積んでいく・・倒れることがわかっているのに、さらに上に積んでいく・・」
智恵「例えばなに? ご飯の時、お箸の持ち方が気に入らないとかさ・・よく言うじゃない」
裕太郎「あのね、お箸の持ち方なら、言えば直るじゃない。直してって言えば直るの。そんな表面のことはね」
智恵「表面のことなんだ、お箸の持ち方は」
裕太郎「表面、表面、皮膜みたいなもの。お箸は直るよ。でも、食い方ってのはさ、その人の本質だったりするわけじゃない」
智恵「食べ方が?」
裕太郎「本質、本質の一端だったりするとね。それ気にくわないから直して、って言っても、なにが気にくわないのかわからないんだよ。だってさ、気にくわないのは食べ方っていうよりも、本質なんだから」
智恵「あいたたた・・」
裕太郎「っていうようなことを二年」
智恵「君の本質が気にくわないって?」
裕太郎「そうそう」
智恵「・・言ったの?」
裕太郎「ときどき言って、直らなかったりして、ケンカして、わかってもらえなくて、やっぱり理解されないのか・・って思ったりする・・」
智恵「それが二年」
裕太郎「そう」
智恵「つらー」
裕太郎「でも、ほら、ちょっとわかりあえないからって、即別れましょうってわけにはいかないじゃない。やっぱり、自分としては最大限の努力をしないとって思ったからさ」
智恵「ああ、じゃあ、もう奥さんと死力をつくして戦って」
裕太郎「この離婚に悔いはないね」
智恵「そういうもんか」
裕太郎「真っ白・・になってた、去年の夏頃は・・」
智恵「うそ、真っ黒だったじゃない。近所の市営プール通ってたって」
裕太郎「外見のことじゃないの、中身の話なの。あの頃は、そういう心の傷をいやしに、プールでやみくもにバタフライ」
智恵「そうだったんだ。無駄に健康的だなっていう印象だったのは、そういうことだったのね」
裕太郎「俺の人生の中で、まあ、いろんな意味で一番熱い夏だったねえ」
智恵「もう結婚はこりごり?」
裕太郎「いいや・・」
智恵「え? なに、まだ? っていうかまた?」
裕太郎「だってこりごりなんて俺、一言も言ってないよ」
智恵「また結婚するの? するつもりなの?」
裕太郎「もちろん」
智恵「え?」
裕太郎「そりゃそうでしょう。なに、これでもう俺はリタイアしちゃうわけ? そんなわけないでしょう」
智恵「いや・・じゃあ、また神様に誓ったりするの?」
裕太郎「誓うね」
智恵「永遠の愛を」
裕太郎「そう」
智恵「また?」
裕太郎「そんなの何回誓ったっていいじゃない」
智恵「永遠の愛だよ」
裕太郎「永遠の愛は一回って決まってるの?」
智恵「それは・・それ、なんかおかしくない? え? 永遠の愛でしょ」
裕太郎「永遠の愛を何度でも誓う」
智恵「え? ええっ?」
裕太郎「しかも、毎回本気だよ」
智恵「それはそうだろうけどさあ・・え? 今は、誰か好きな人いるの?」
裕太郎「今はいない・・それどころじゃなかったから」
智恵「だよねえ」
裕太郎「でもね、俺の前に現れたら、誓う」
智恵「誓っちゃうんだ」
裕太郎「誓う」
智恵「なんで、なんでまた結婚しようと思うの? もうこりごりって感じじゃないの? もう、戦い終わった・・って感じでしょう」
裕太郎「結婚も恋愛ももうしないって決めるのはおろかでしょう。わかる、恋愛ってさ、恋ってさ、するものじゃないんだよ。恋ってのはね、落ちるものなんだよ。そんなの自分でもういい、って思ってても、落ちるときは落ちるんだから。ドブに落ちたくて落ちる人はいないでしょ。雷に打たれたい人がいる?」
智恵「いない」
裕太郎「でも、雷は落ちるじゃない」
智恵「あ、そうか。そうねえ」
裕太郎「そりゃ明日、明後日にとかって話じゃないよ。でも、諦めるとかは自分からは絶対に言わないよ。そんなの」
智恵「そうか」
裕太郎「俺は今回のことでなにかを断念はしないよ」
智恵「また戦うかもしれないよ」
裕太郎「そこなんだよね」
智恵「戦って、泳いで」
裕太郎「そこはさ、いくらなんでも学習したいなって思ってるからさ。一回こういう良い経験をね、させていただいたわけだからさ」
智恵「させていただいた」
裕太郎「そう、させていただいたわけだからさ。今回のね」
智恵「戦いの果ての悔いのない離婚」
裕太郎「今度は、悔いのない結婚がね、したいわけさ」
智恵「悔いのない結婚?」
裕太郎「同じ轍は踏みたくないからね」
智恵「どんな人がいいの?」
裕太郎「どんな人? それは決まってるじゃない」
智恵「なに?」
裕太郎「運命の人」
智恵「なんだよ、それ」
裕太郎「結婚に踏み切る前にね、もうちょっと相手を見るべきだったんだよね。いや、見たよ、見たんだけど」
智恵「見方が足りなかったの?」
裕太郎「そうね」
智恵「それさあ、チェック魔として教えて欲しいんだけど、どういう点をチェックしていけばいいの?」
裕太郎「俺の方が聞きたいよ、チェック魔さんに」
智恵「どこをどう?・・」
裕太郎「恋愛してる時ってさあ、恋は盲目だからさあ、いいなあ、すごくいいな、好きだなあ、大好きだなあって思うわけじゃない」
智恵「その時はね」
裕太郎「ね、チェックするの? 恋しながら」
智恵「いや・・できないね」
裕太郎「そうでしょ、そうだよねえ。チェック魔でもそうだよね」
智恵「そう・・見えなくなるね」
裕太郎「あとで思うんでしょ、あたしとしたことが!」
智恵「もうその最中はね、私の中のものさしまでもとろけちゃうからね」
裕太郎「だよねえ」
智恵「あたしもうチェック魔失格って感じ」
裕太郎「恋の虜になっちゃうんだ」
智恵「なる、なる」
裕太郎「そこなんだよな。俺もね、こう見えてもねえ、一回恋に落ちてしまうと、大変なことになってしまうのね」
智恵「そうなの?」
裕太郎「そうなの。大変なの」
智恵「少し冷静にならなきゃってことだよね」
裕太郎「でもさあ、冷静になったらさあ、恋なんかしないよね」
智恵「つきあわないよ、たぶん」
裕太郎「だよね、そうだよね。そんな恋愛、くそおもしろくもないよね」
智恵「くそおもしろくもないよ」
裕太郎「見境がなくなるから恋愛なんだよね」
智恵「そうだよ」
裕太郎「よく言うじゃない、友達感覚の恋愛とかさあ、俺にはね、ありえない」
智恵「ないんだ」
裕太郎「恋はね、狂わないと」
智恵「それはあれだね」
裕太郎「なに?」
智恵「また失敗するね」
裕太郎「大きなお世話だ」
智恵「じゃあさあ、これからなにがしたいの? どうしようと思ってるの?」
裕太郎「なにがしたい?」
智恵「だって、もう自由の身なんだからさ」
裕太郎「ああ、ねえ」
智恵「自由なのよ、自由」
裕太郎「自由って、君だって自由じゃない」
智恵「自由だけど、ほら、違うじゃない、自由の、なに、受け止め方っていうのがさ」
裕太郎「同じだよ」
智恵「違うわよ。一度さ、結婚というね、共同生活を体験して、今、再び独り身という自由を手にするっていうのはさ」
裕太郎「ああ、そうねえ」
智恵「ありがたさが違うでしょう」
裕太郎「違うかもねえ」
智恵「違うわよ」
裕太郎「かもしれないねえ」
智恵「その自由を手にした裕太郎君は、なにをするの?」
裕太郎「なんも考えてなかったな・・戦いに疲れきってた、だけだったからねえ・・(と、言われて真剣に考え始める)自由、自由なんだから、もういいんだよな」
智恵「そう、もういいのよ」
裕太郎「もうね、結婚生活とか奥さんとかに縛られてはいないんだから」
智恵「そうそう」
裕太郎「って思ったところでなんも思いつかないな」
智恵「なんかあるでしょ、旅したいとかさ」
裕太郎「ハワイ?」
智恵「ハワイ?」
裕太郎「いいねえ、ハワイ。ビーチでビール」
智恵「ああ、それはねえ(いいよね)」
裕太郎「一人でハワイ。こんがり表焼いて、裏焼いて・・」
智恵「市営プールではなくて」
裕太郎「ハワイ」
智恵「真っ黒くろすけだ」
裕太郎「表焼いて、裏焼いて・・また表焼いて」
智恵「いいんじゃないの」
裕太郎「ああ、でも、混むんじゃないの? ハワイとかってさあ。シーズンはねえ、ちょっと高くなっちゃうし」
智恵「別にシーズンじゃなくてもいいじゃない」
裕太郎「え?」
智恵「有休使っちゃえばいいんじゃないの? もう有休は全部自分のために使えるんでしょ」
裕太郎「(グッドアイディア)そうだよ、そうだよね。もう有休は全部自分のために使っていいんだよね」
智恵「そうだよ、それでシーズンオフにハワイ」
裕太郎「ああ・・そうか・・そんな発想すらもう、俺にはなかったよ」
智恵「有休全部使って二週間くらい行ってくればいいのに」
裕太郎「二週間・・二週間の旅行か。行こうと思えば、もう行けるんだよな」
智恵「もう、なんでもできるんだから」
裕太郎「だよねえ・・家庭がある身ではね、そんなプラプラプラプラできないもの」
智恵「でも、もう家庭ないんだから」
裕太郎「そうだよ、行っちゃおうかな」
智恵「それで二週間ハワイで・・」
裕太郎「表焼いたり、裏焼いたり」
智恵「それつらくない?」
裕太郎「うーん・・もともとほら、俺、そういうリゾートとか行くと、なにしていいかわからなくなる人だからさ。ちょっと待って、ちょっと待って・・二週間もあるんだったらさ・・待って、ハワイやめる」
智恵「ハワイじゃなかったら、どこ行くの?」
裕太郎「京都」
智恵「京都?」
裕太郎「か、奈良」
智恵「京都か奈良?」
裕太郎「もしくはどっちも」
智恵「なにしに? 京都と奈良に?」
裕太郎「いや、俺ねえ、ほんとのこと言うとね。お寺さんとか、好きなのね」
智恵「ああ、そうなんだ」
裕太郎「大好きなのね」
智恵「へえ・・・」
裕太郎「神社仏閣に目がないの」
智恵「なにが楽しいの?」
裕太郎「楽しいよ」
智恵「神社仏閣が?」
裕太郎「そうだよ。結婚する前は、年に三回とか四回とか、金貯めちゃ行ってたんだよ」
智恵「京都、奈良?」
裕太郎「一回ねえ、奥さんと行ったのよ、京都に」
智恵「そしたら、奥さん何て言ったの?」
裕太郎「なにが楽しいの?」
智恵「あ、やっぱりそう思うよ」
裕太郎「全然ダメなんだよ」
智恵「普通興味ないもの」
裕太郎「興味ないっていうか、ダメだったね」
智恵「え、なにがおもしろいの?」
裕太郎「お寺を巡る」
智恵「お寺巡ってどうするの?」
裕太郎「見るべき物は多いよ」
智恵「全然、わからない」
裕太郎「その見るべき物の中でも、やはり仏像ね」
智恵「わからん」
裕太郎「宗派によっては庭」
智恵「わからん」
裕太郎「でも、やっぱり仏像だね」
智恵「なにがいいの?」
裕太郎「難しいことを聞くね」
智恵「え? 私、今、そんなに難しいことを聞いたつもりはないんだけど」
裕太郎「仏像は美術品でもあり、偶像でもあるのね、それが何千年もここに安置され、多くの人々に崇拝されてきたのかと思うとねえ」
智恵「思うと、なに?」
裕太郎「なごむ」
智恵「・・わからん」
裕太郎「そこに二週間」
智恵「有休をとって」
裕太郎「いやあ、二週間もあったら主な見所は全部まわれるね」
智恵「主な見所ってなに? まあ聞いてもどうせわかんないんだけどさあ」
裕太郎「言ってもどうせわかんないんだろうけど、あのね」
智恵「あ、言うんだ」
裕太郎「聞かれたからね・・二週間もあればだよ・・奈良だったら南都七大寺。」
智恵「なんとしちだいじ? 」
裕太郎「京都だったらねえ」
智恵「金閣寺」
裕太郎「って素人は思うんだよね」
智恵「悪かったね、素人で」
裕太郎「金閣、銀閣、清水は素人」
智恵「まあ、修学旅行でまわるもんね」
裕太郎「やっぱり大原ね」
智恵「大原」
裕太郎「京都大原三千院って歌あるでしょ」
智恵「知らん」
裕太郎「あんたほんとに日本人か」
智恵「そだよ」
裕太郎「大原にはね、行かなきゃいけない」
智恵「行けばいいじゃん」
裕太郎「そうだよなあ。大原、嵐山、桂離宮、比叡山」
智恵「行けばいいじゃん」
裕太郎「もう行けるんだよな」
智恵「自由なんだから」
裕太郎「そうか、そうなんだよな・・」
智恵「しょっちゅう修学旅行してればいいじゃん」
裕太郎「なんだよ、修学旅行って」
智恵「いや、なんか修学旅行の日程を聞いているような気がしてさ、さっきから」
裕太郎「いや、そんなね、わけもわからず市中引き回しみたいに京都、奈良をまわって、根性って彫ってある木刀買って帰るやつらと、一緒にはしないで欲しいね」
智恵「そんなに好きなの」
裕太郎「好きだって言ってるでしょう」
智恵「だったら、住んじゃえば?」
裕太郎「住む? 京都に?」
智恵「だって奥さんのために公務員になったって言ってたじゃない」
裕太郎「そうなんだけどね」
智恵「将来が安定してるからってことだったんでしょ」
裕太郎「そうなんだけどね」
智恵「でも、もう公務員やる、なに、必然っていうの? それがさ」
裕太郎「ないよね」
智恵「ないでしょ」
裕太郎「ないわ」
智恵「ね」
裕太郎「そうか・・俺、なんでここで仕事してるんだろうね」
智恵「習慣って怖いよね。離婚届出して、ついでに退職届も出して、京都に行っちゃえばよかったのに」
裕太郎「大胆なこと言うねえ」
智恵「だってそうでしょ」
裕太郎「そうだよ、そうなんだけどね」
智恵「やりたいの? この仕事」
裕太郎「やりたくもなんともないよ」
智恵「いいじゃん」
裕太郎「ああ・・そうか、いいのか、こんなことやんなくて」
智恵「いいのよ」
裕太郎「そうだよね・・」
智恵「だって裕太郎君じゃなくてもできる仕事なんだからさ。代わりなんかいくらでもいるよ」
裕太郎「なんで仕事してるんだよ、俺。残業してまでさあ」
智恵「なんか悲しい話だよね」
裕太郎「なにが?」
智恵「だってせっかく自由になったのにさ、またこうやって檻の中に戻ってきてるっていう」
裕太郎「うわ! うわ! そうだよね、そうだよね」
智恵「京都でセカンドライフ」
裕太郎「セカンドライフ? 早いね。思わぬ時にやってくるねえ」
智恵「え? 離婚してさ、どうするとか、ほんとに考えてなかったんだね」
裕太郎「いや、ゆっくり考えようって思ってたけど」
智恵「こうやって残業しながら」
裕太郎「いや、いやいや・・」
智恵「わからん」
裕太郎「なにが?」
智恵「せっかくの自由を・・」
裕太郎「ん・・」
智恵「ビール取ってきてあげようか」
裕太郎「ん・・」
智恵「乾杯しようよ、裕太郎君の自由に」
裕太郎「あ、ああ・・」
智恵「・・どうしたの」
裕太郎「あ、いや」
智恵「どうしたの?」
裕太郎「なにしてもいいんだよな」
智恵「そうだよ。さっきから言ってるじゃない」
裕太郎「なにしてもいい・・なにすりゃいいんだろ」
智恵「京都に住むんでしょ」
裕太郎「うん・・」
智恵「仏像に囲まれて暮らせるじゃない」
裕太郎「うん・・」
智恵「いいじゃない」
裕太郎「それは夢だけどさあ・・」
智恵「うん」
裕太郎「他にも俺、夢ってあった気がするなあ」
智恵「他にも?」
裕太郎「うん・・なんか、やりたいことって、もっといっぱいあったような気がする」
智恵「ビール、飲むでしょ」
裕太郎「うん・・飲みたい」
智恵「取ってくるよ」
裕太郎「うん・・(と、一人頭を抱え)なんかもっと、あった気がする」
  智恵、去る。
  裕太郎が一人・・・
  暗転。