第81話  『王様のカクテル』
  明転すると、薫のバー。
  バーのカウンターに一人座っている龍之介。
  カウンターの中にはバーテンダーの薫。
  今、マティーニを龍之介に出した。
龍之介「・・・珍しいんじゃないかなあ」
薫「そうですか?」
龍之介「うん・・」
薫「(マティーニを)どうぞ」
龍之介「あ・・ども」
  龍之介、それに口をつけて。
薫「・・今は、結構、多いんですよ、女性のバーテンダー」
龍之介「あ、そうなんだ」
薫「あんまり、いらっしゃらないんですか、バーには」
龍之介「全然・・なんか、自分には敷居がちょっと高いかなって思っちゃって」
薫「・・ああ、そういうイメージがやっぱり・・」
龍之介「バーっていうとねえ」
薫「ありますからねえ」
龍之介「こうやって、バーテンさんと普通に話ししてるのもなんか変な感じ」
薫「え、そうですか?」
龍之介「ん・・なんていうか、バーテンさんって、こう黙ってグラス磨いている感じがして・・すごく、ありきたりなイメージばっかだけど」
薫「私もそう堅く信じてたんですけど、ずいぶん前によくしゃべる、バーテンダーに会って、自分がそれまで持っていたイメージがひっくりかえっちゃったんですよ」
龍之介「あ、そう、やっぱそうなんだ」
薫「ええ・・私、こういうバーテンダーっていう仕事に興味を持ったのが、遅かったんです・・私、今もまだ昼間はOLやってるんです」
龍之介「え? OL? OLさんなの?」
薫「ええ・・もう十年近くやってるんですけど、二十代も終わりに近くなって、自分がこんなOLのままでいいのかなあ、って考えるようになっちゃって・・それでその時に、やっぱりお酒好きだから、お酒に関われたらなあって・・」
龍之介「なるほどねえ」
薫「もう遅いかもって思いながらも、会社終わってから、とりあえず、いろんなバーを見て回ろうと思ったんですよ」
龍之介「へえ・・」
薫「やっぱりいろいろ知っておきたかったし。それで、ある時、品川にある小さなバーに入ったんです。十人ちょっと入ったらいっぱいのバーだったんですけど・・カウンターの中にそれこそ画に書いたようなバーテンダーがいたんです。初老の、背が高くて、綺麗な白髪のこれぞ、バーテンダーっていうバーテンダーが」
龍之介「へえ・・」
薫「そのお店、お酒はなんでも置いてあるんですけど、おつまみは本当にナッツとか麦チョコとか、オリーブとか、チーズとかそういうのしかないんです。どうして? って思ったら、うちはバーですからって言われて」
龍之介「潔いいんだ」
薫「松宮さんって言うんですよ、そのバーテンダー」
龍之介「松宮さん」
薫「変わった店だなって思って、カウンターの隅で一人で飲んでたんです。そのバーテンダーの松宮さんをずっと観察しながら」
龍之介「観察ね」
薫「お酒のうんちくってありますよね。バーテンダーが披露する」
龍之介「ああ・・」
薫「うんちくは一切言わない。酒は酒。それで酔っぱらい好きなんです、酒が好きっていうよりもよっぱらい好き」
龍之介「よっぱらい好きのバーテンダー」
薫「酔った時は嘘をつくべきだ、というのが松宮さんの持論なんですよ・・バーのカウンターは嘘をついていい、世界でただ一つの場所なんだって」
龍之介「なんか、話聞いてると、シンプルで気持のいい人だねえ」
薫「ああ・・そうですね・・シンプルな人ですよ、シンプル、すごくシンプル・・」
龍之介「地下の穴蔵のようなバーに」
薫「白髪で長身のバーテンダーですよ・・バーテンダーって、どういう意味だかご存知ですか?」
龍之介「バーの・・テンダー」
薫「そうです。そうなんです」
龍之介「テンダーって」
薫「優しい人・・バーの優しい人がバーテンダーなんです」
龍之介「あ、そうなの? 本当にそうなんだ・・それでバーテンなんだ」
薫「これでいいんだ! 私が探していたのは、これかも! って」
龍之介「ヒットした・・」
薫「だから、その店で働きたいっていうか、バーテンダーとして、修行できたらいいなって思ったんですけど、でも、松宮さんは、自分一人でやってきたし、これからも自分一人でやっていきたいって、それを変えるわけにはいかないって言われて・・それでも、週のはじめのなるべく遅い時間を狙っていくと私以外、ノーゲストになるから、それで松宮さんを独り占めして、いろいろ、バーテンの話を聞いて」
龍之介「あとは・・どんな話を?」
薫「お客さんはどうしてバーでお酒を飲むのか? 酒は別に家で飲んでもいいはずなのに、でも、人はバーに来る。それには理由があるはず。だから、それをずっと考え続けながら松宮さんは今日まで来たって」
龍之介「人がバーに来る理由・・ねえ」
薫「お客さんが、松宮さんに最初に会った感じって、どうでした?」
龍之介「え?」
薫「・・・お客さん、松宮さん、ご存知ですね」
龍之介「え・・ああ・・」
薫「でしょう?」
龍之介「ああ・・そうね」
薫「ですよね」
龍之介「うん・・」
薫「・・・ですよね」
龍之介「・・なんでわかった?」
薫「松宮さんのバーが地下にあるって、私、お話してませんよ」
龍之介「あ・・ああ・・ねえ」
薫「ねえ」
龍之介「酔っぱらったかな」
薫「ですかね」
龍之介「気を悪くしないでもらいたいんだけどね・・悪気があったわけじゃないんだ」
薫「(微笑んで)わかってます・・松宮さんってどうでした?」
龍之介「松宮さんの印象・・ああ、こんな人がいるんだ、って感じかな」
薫「いるんですよ、あんな人が」
龍之介「夜の仕事をしている友達が、おもしろいおじいさんがやっているからって連れてかれたんですけどね・・品川のそのバーに・・それでたまたま、男だからできること、女だからできること、なんて話になって、それで・・あなたの話が出たんです」
薫「そんなことじゃないかって思いました」
龍之介「私は一人だけ女性のバーテンダーの弟子がいるってね。それで、薫さんが始めて松宮さんの店にやってきた日のことから、ずっと、話してくれました。松宮さんはバーのカウンターは嘘をつくためにあるって言ってましたけど、あの時は、たぶん、みんな本当の話だったんじゃないかなあ
薫「どんな話でした?」
龍之介「松宮さんがね・・僕がその時、座っていたその隅の席で、ずいぶん前に、自分の生きる道を見つけた女性がいたんですって。その時、本人は遅すぎるかもって言ってたんですけど、すばらしいことに早すぎるも、遅すぎるもないんだって」
薫「そう・・本当にそうですね」
龍之介「それで、夜明け近くまで話した後、帰り際になって、松宮さんが言ったんです。もしも、もしもあなたが彼女のバーに寄って、彼女が元気にやっているかを見てきてくださるなら、今日の酒のお代はいらないって」
薫「そうですか」
龍之介「そうまで言われたら、ねえ・・」
薫「そうですか」
龍之介「それだけじゃなくて、がぜん興味が出てきたから。この松宮さんが、それだけ気にかけている人ってどんな人なんだろうって」
薫「・・どうでしたか、それで」
龍之介「・・想像したんですよ。どんな人なんだろうって? それで・・想像したことを本当に正直に言いますとね・・たぶん不器用な人なんじゃないかなって」
薫「不器用?」
龍之介「手先が不器用ってことじゃなくて、生き方がね」
薫「不器用」
龍之介「だから、松宮さんが気になってしょうがないんだろうって思ったんです、うまくやっているだろうか、大丈夫だろうかって・・すいません」
薫「いえ・・当たってますから」
龍之介「あいつは、私の娘と孫の間にいるような奴だって」
  薫、笑う。
薫「それで・・今度、松宮さんのバーに言って、なんて報告なさるんですか?」
龍之介「ねえ・・それをね・・ずっとこのカウンターに座ってから、本当にずっと考えてるんだけどね」
薫「・・ちゃんとやってますかね、私」
龍之介「もちろん・・・でも」
薫「でも?」
龍之介「酒をおごってやるから、様子を見てこい、って言われて、それで、見に行って、ちゃんとやってましたよって、報告してもねえ・・そんなことしたら、それこそ子供の使いでしょう」
薫「でも・・じゃあ、どうします?」
龍之介「どうしましょうかねえ・・」
薫「どうしますか?」
龍之介「なんか、あの松宮さんをニヤッとさせてあげたいってのがね、あるんですよ」
薫「ああ・・それはいいかも」
龍之介「ね」
薫「でも、それって」
龍之介「そうなんですよ、こう言っちゃなんだけど、相手は大人ですからね」
薫「(同意の笑い)・・・」
龍之介「どうすれば・・」
薫「相手は大人」
龍之介「自分だって充分、大人なんですけど、でも、なんか、ああいう人を見ると、まだまだ子供だなあって、つい思っちゃうんですよ」
薫「わかります・・わかりますよ」
龍之介「子供が、大人をねえ」
薫「ニヤリとさせる・・」
龍之介「すでに、こうやってバーテンダーの薫さんと、僕がこんな話をしているってのが・・」
薫「松宮さんの思惑通りですよね」
龍之介「ねえ・・」
薫「あの人らしい・・」
龍之介「よかったら一緒に考えてもらえませんか」
薫「ええ・・もちろん、喜んで」
龍之介「なんだったらいいのか?」
薫「(龍之介の空になったグラスを示し)次は、なににしますか?」
龍之介「同じ物を」
薫「マティーニで」
龍之介「(頷いて)よかったら、一杯どうですか? おごりますよ。ここのマティーニはうまいって・・」
薫「松宮さんが?」
龍之介「言ってました」
薫「時間かかりますよ、あの人をニヤッとさせるなんて」
龍之介「ゆっくり考えましょう。時間も酒もあるんですから」
薫「確かに・・」
龍之介「簡単にはいきませんよ、相手は大人ですからね・・」
薫「そうですね」
龍之介「相手は大人なんですから」
  ゆっくりと暗転。