第132話  『転校生 その後 凜子編』
  字幕『2007年 結城凜子40歳』
  明転するとバー、モンブラン。
  カウンターにいる凜子。
  時計を気にしながらも、
凛子「もう一杯、いけるかな」
薫「(もまた、時計を気にしながら)東京駅、何時なんですか、最終は」
凛子「八時五十分」
薫「微妙なとこですね」
凜子「微妙なとこか」
薫「ええ」
凜子「それで向こうに着くのが十二時半くらい、やな」
薫「かかりますね、それでも」
凜子「ん、じゃあ、もう一杯」
薫「え? いいんですか?」
凜子「微妙な時こそ、勝負の時やから」
薫「(笑って)はい、じゃあ、同じもので」
凜子「お願いします」
  と、薫は酒を造り始める。
凜子「もしも、会ったら、あれも話そう、これも話そうと思うてたんやけどな
あ」
薫「間に合っても、なんか、挨拶だけってことになりそうですね」
凜子「残念やなあ、ほんまに」
薫「また、いらっしゃればいいじゃないですか、東京に」
凜子「小学校の五年の時にこっち転校してきてね、それで、一年半おったんや
けど、それ以来やからね」
薫「お父さんのお仕事の都合かなんかですか」
凜子「そうやねん…お父さん、あの一年半は、死ぬ気でがんばったって、この
頃、酔っぱらうとその話ばっかりでね」
薫「大阪がよかったんですかね、やっぱり」
凜子「そらやっぱそうやね」
薫「生まれたところがやっぱり一番ですからね」
凜子「うちもそうやけど、お母ちゃんがね、大阪生まれのね、大阪の女やった
からね。お父さん、お母さんのために死ぬ気でがんばったんやろうね、あの一
年半」
薫「最近、どこでも離婚の話ばっかり聞きますけど、でも、お父さんとお母さ
んが仲良いのがね、子供にとってはね」
凜子「東京に転校になるって聞いた時はほんまに目の前が真っ暗になって、足
下に穴があいた感じやったからね」
薫「まったく未知の世界だったんじゃないんですか」
凜子「それでな、転校初日の龍ちゃんがな、優しくしてくれてん、それにはも
う今でも感謝してもしきれんくらいや。大阪で生まれた女やさかい、東京には
ようおられへん、って言うたら、まだ五年三組に転校してきて一日目じゃない
の、って…『大阪で生まれた女』の歌をね、ちょこっと歌ったら、龍ちゃん本
気にしてしもうて、それで本気で励ましてくれて。あん時のお礼をね、いつ
か、いつか言いたくてね。それも、会って直接言いたくてね。そう思うてね、
ずっと龍ちゃんに、会おうな、絶対に会おうな、って電話したりしてたんやけ
どね…なんか、いっつも都合が合わへんで…だいたいね、会おうか、久しぶり
に、って最初に言うたのがアトランタ・オリンピックの年やねん」
薫「アトランタ・オリンピックっていつのことですか?」
凜子「昔々、大昔のことや」
薫「ですよね、シドニーとか、トリノとかいろいろありましたからね、その間
にオリンピックは」
凜子「トリノ?」
薫「ありましたよ、トリノ・オリンピック」
凜子「(どうでもいい)ねえ…もう、気が付いたら、どんどん次々、オリンピ
ックが開催されてて…」
薫「二人は会えず」
凜子「そうやねん…で、今日も」
薫「どうしちゃったんでしょうね、柳沢さん」
凜子「龍ちゃん」
薫「仕事、ですかね」
凜子「ここ電話、入らへんのやろ」
薫「すいません、地下なもんで」
凛子「メールとか、来てへんかな」
薫「ここの電話も知ってるはずなんですけどね、柳沢さん」
凜子「なんかとてつもない事が起きてるんやな、今、龍ちゃんに」
薫「なんですか、とてつもない事って」
凜子「それは分からへんけど。メールも電話もできへんような、なんかやろ」
  そして、薫、できあがった酒を一杯差し出した。
薫「おまたせしました」
凜子「ありがとう。龍ちゃんな、私が転校した次の日、言うてくれてん。凜子
ちゃんは大阪で生まれた女やねん、って、だから、大阪の街が捨てられへんね
ん、って、だから、もしかしたら、ずっと関西弁で喋るかもしれへんけど、み
んな気にせえへんでいてや、って、大阪で生まれた女やさかいしょうがないね
んって。大阪から転校して来たのは、東京の人になるために転校して来たんじ
ゃなくて、大阪の人が東京の学校に来てるだけなんだからって。朝のホームル
ームの時、そう言うて、それで、私に『大阪で生まれた女』を歌ってって」
薫「え? 『大阪で生まれた女』をですか? 小学校五年生が? 朝のホーム
ルームの前に?」
凜子「そうやねん。あんな『大阪で生まれた女』って、実は長編大河ドラマや
ねん、十八番まである」
薫「長編大河ドラマ、ですか。私が知ってるのは三番までのやつですけどね」
凜子「あれはもうほんまに要点をかいつまんだダイジェスト版やねん」
薫「そうなんですか」
凜子「あれはな、高校時代から始まんねん」
薫「それで踊り疲れたディスコの帰り、まで行くんですか」
凛子「うん、ディスコで踊り疲れるのは、割りと高校卒業してすぐくらいやね
んけどね」
薫「へえ、そうなんですか」
凛子「それで、二人で東京に出て行くんねんけどね」
薫「大阪の街を捨てて」
凛子「立教大学の側の小さなアパートに住むねん」
薫「立教大学って歌詞にあるんですか?」
凜子「もろに(と、そこだけ歌ってみせる)立教大学の近くの小さな部屋。っ
て」
薫「池袋のあたりに住んだわけだ」
凜子「そういうことになるんかなあ。それでな、二人で求人広告でバイト探し
たり、新宿の西口のロータリーで当時ほら、流行ってたやんか、学生運動が」
薫「安保とか」
凛子「そうそう」
薫「学生運動とかにも参加するんですか、二人は」
凜子「いやいや、大阪から出てきた二人にはそんな余裕もなくてな、警官と学
生のもみ合いを横目で見ながら、馬鹿げた事やと思うとってん」
薫「関係なかったんだ」
凜子「二人はな。それどころじゃなかったんや、生きることに精一杯で」
薫「なんか…リアルですね。そういうのの方が」
凜子「でも、そこまで話聞くと、二人は貧乏ながら肩寄せあって、幸せに生き
ていったんだろうなって思うやないですか」
薫「え? ちがうんですか?」
凜子「ちゃうねん」
薫「え? そうなんですか?」
凜子「二人な、別に好きな人ができてな、別れるねん」
薫「へえ…」
凜子「でな、大阪で生まれた女は大阪に帰る事になんねんけどな」
薫「すごい大河ドラマですね」
凜子「だから言うたやん、大河ドラマやゆうて」
薫「それはそうなんですけどね」
凜子「でも、別れても、その男のことをまだ思っててね」
薫「大阪で生まれた女が」
凜子「そうやねん、うち、十八番の歌詞の中で一番好きなところやねんけど
ね」
薫「どんな歌詞なんですか」
  そして、凜子が歌ってやる。
凜子「えっとな…」
  間。
凜子「さあ、もう、終電の時間や、締めてもらえる」
薫「(その作業を始めながら)残念ですね」
凜子「ま、しょうがない、こういう日もあるやろ」
  と、お金のやり取りなどがあって、
薫「どうもありがとうございました」
凜子「龍ちゃん、来たらよろしくね」
薫「かしこまりました」
凜子「別に怒ってへんからって言うといて」
薫「はいはい」
凜子「龍ちゃん、そのへん気にしいやから」
薫「わかりました」
凛子「ほな、ごちそうさまでした」
  と、出て行く凜子。
薫「ありがとうございました」
  そして、BOROの曲がかかる。
  曲がかかる中、薫が一人、後片付けなどをしている。
  と、その瞬間、ドアが開く音がする。
  姿を現す龍之介。
薫「柳沢さん…」
龍之介「……」
薫「今、凜子さんが」
龍之介「会えた、そこで、ちょっとだけだけど」
薫「…そうですか」
龍之介「ちょっとだけだったけど…あいかわらず…元気そうだった」
  龍之介、カウンターに座りながら…
  暗転していく。